子爵 山内豊健 先生
子爵
山内 豊健 1903~1946
やまうち とよたけ
元華族、武道家 別名、鷹堂。当会「豊剣会」の名称の由来となる。
子爵・山内豊尹、勝の二男として明治36年8月16日、東京三河台町に生まれる。山内容堂の孫。
少年期は高知に住み、海南中学校(小津高校)に進み、剣道と書道に秀でる。
その頃の大正5年に兄・豊陽、が隠居、子爵位を継ぐ。のちに上京。9年には大日本武徳会から剣道錬士、柳生新陰流の免許皆伝。
居合は江戸初期より山内家に伝わる無双直伝英信流から皆伝書が献上伝承される良き環境と17代宗家の大江正路子敬の熱心な指導で18代宗家を継ぐ。戦前の名剣士の一人。
京都の武道専門学校、善通寺師団を、東京の明武館、埼玉の正明中学校で指導する。
谷田佐一と共著の「図解居合詳説」はこの種の先駆け。
弟子には河野兼光、三谷義里、井下經廣、宇野又二。
孫弟子に山越正樹、木村幸比古(現豊剣会会長)、加茂治作らがいる。
書は三楽書道会、龍崎書道会の役員として活躍。
明治維新まで土佐藩に伝わった無双直伝英信流を、京都の大日本武徳会の内藤高治の招きにより来京し、武徳殿で披露。京都でその教えを受けたのが初代会長 倉橋常茂。
昭和10年に北海道出身の片石アサ子と結婚する。5子のうち長男・豐臣は札幌に住み、古流山内派の名誉会長、京都豊剣会の顧問である。
アサ子は戦後間もな夫なきあとは北海道の婦人警官1号として勤務。
豊健は昭和21年1月病没。42歳。墓は高知市筆山。
高知新聞社刊 高知県人名事典(平成11年版より)
山内豊健先生の貴重な写真 (山内豐臣様より寄贈)
教士号を受けられて、
證書ご覧になる豊健先生
子爵 山内豊健先生に送られた證書
山内家 家系図
初代会長 倉橋常茂 先生
倉橋 常茂 1892~1986
くらはし ときしげ
会長在任期間 昭和42年~昭和61年6月
京都土佐塾寮監、武道家。明治25年8月23日、松村作太郎と國の次男として香美郡佐岡村(土佐山田町)に生まれ、倉橋森尾の養子となった。
高等学校卒業後、家業の農林業を手伝っていたが、22歳で京都府警察官採用となる。同府警松原署次席などを経て昭和17年に消防に転出、19年八坂消防署長を最後に退職した。
高知出身の大学生の寄宿寮京都土佐塾が、33年財団法人土佐育英協会へ運営を移管された際、同塾寮監に就任。以来22年間、塾の運営と学生の指導に努める。京都高知県人会副会長も長く勤め、同会の発展にも寄与した。
京都で山内豊健の教えを受け、居合の無双直伝英信流を学び京都に昭和42年豊剣会を興した。門弟も多い。範士八段。昭和61年6月没。93歳。墓は土佐山田町大後入。
高知新聞社刊 高知県人名事典より引用(一部加筆)
倉橋先生の胸像
胸像の裏面にある漢詩
設置場所:京都市南区東九条
エフビットコミュニケーションズ(株)様 敷地
倉橋先生の胸像の前で
倉橋先生作漢詩「中岡慎太郎」
倉橋先生作漢詩「坂本龍馬」
二代会長 鈴木勇 先生
鈴木 勇
すずき いさむ
会長在任期間 昭和61年6月~平成14年3月
大正15年生まれ
学歴・軍歴
昭和16年3月 旧制中中退
昭和16年5月 予科練習生として海軍土浦航空隊に入隊
昭和20年8月 三三二海軍航空隊より復員
昭和24年12月 明星自動車株式会社設立に参画、同社役員に就任
平成5年 同社代表取締役退任
平成11年3月 明星観光サービス株式会社の代表取締役退任
明星自動車株式会社相談役
居合道暦
昭和41年3月 居合道入門
昭和57年6月 六段
昭和63年 教士
令和3年 没
現会長 木村幸比古
木村 幸比古
きむら さちひこ
会長在任期間 平成14年4月~
全日本剣道連盟 範士八段
一般財団法人京都府剣道連盟参与・審議員、西日本学生居合道連盟会長、京都芸術大学居合道部師範
京都社会人剣道協会副会長
昭和23年京都市生まれ、国学院大学文学部卒
近世思想史、幕末史、武道史
霊山歴史館副館長を経て学術アドバイザー
平成3年、維新史の研究と博物館活動で文部大臣表彰
平成13年、生涯学習推進で京都市教育功労者表彰を受ける
京都市内博物館施設連絡協議会相談役
高知県観光特使
著書
「坂本龍馬」(ナッメ社)
「史伝土方歳三」(学習研究社)
「日本を今一度せんたくいたし申候」(祥伝社)
「新選組全史」(講談社メチェ)
「吉田松陰の実学」「新選組と沖田総司」(PHP新書)
「幕末維新 珠玉の一言」(淡交社)など多数
産経新聞にて連載
「新選組外伝」
「誠の足跡 新選組をゆく」
平成14年(2002年)4月より豊剣会会長
居合道歴
昭和49年入門
倉橋範士、宇野教士、山口教士に師事
豊剣会副会長を経て平成14年4月より会長
第26回京都大会 七段の部 優勝 全日本居合道大会出場
第27回京都大会 七段の部 優勝 全日本居合道大会出場
北九州大会 七段の部 ベスト8
第33回京都大会 七段の部 優勝 全日本居合道大会出場 全日本居合道札幌大会ベスト8
他
國學院大學少林寺拳法部主将、コーチ、OB拳星会会長を経て名誉顧問、正拳士四段
證書 英信流山内派の発展に寄与したことへの山内豊臣先生から頂いた感状
英信流山内派免許皆伝 根元の巻 山内豊臣先生・宇野又二先生・山口敏夫先生の立会いのもと拝領したもの
教士七段 山口敏夫 先生
先生お得意の滝落し
山口 敏夫
やまぐち としお
教士七段
元京都府剣道連盟相談役
元京都豊剣会副会長(二代 鈴木勇会長の下)
三代会長 木村幸比古の兄弟子
父と私 (山口智史五段 )
おやじから教わった事が三つあります。
「挨拶しろ」
「人に偉そうに言うな、得する事は何も無い」
「人に物を教わる時は謙虚になれ」
技はほとんど教えてもらえませんでした。
決して仲の良い親子ではありませんでしたが、私が結婚してから2年間、
嫁を通してとても良い関係が持てました。親孝行したい時には親は居ずとはよく言ったものですね。
居合が大好きだった親父。天国?でも抜いていると思います。
剣道範士八段・居合道錬士 岳田政雄 先生
左上:京都右武館 岳田政雄初代館長
右上:京都右武館 三好晁第二代館長
右下:京都新聞副論説委員長 三好克之氏
岳田 政雄
おかだ まさお
剣道範士八段・居合道錬士
豊剣会初代会長 倉橋範士時の副会長
京都右武館初代館長
岳田政雄剣道範士八段・居合道錬士
京都右武館 第二代館長 三好晁先生より寄稿
岳田政雄先生との出会いは、終戦後武道に対する規制が緩和され、剣道復活の機運が盛り上がってきた昭和27年先生は油の乗り切った43歳、私が13歳の少年の時でした。
当時、京都警察本部少年課次長であった岳田先生は、青少年問題に腐心されていた時であったので、青少年の健全な育成は、剣道を通じて行うのが最適と考えられ、少年剣道の普及を強く決意されていました。
当時武徳殿の周辺施設は、警察学校として再出発されており、武徳殿は剣道特練生の道場として使用されていました。先生はまもなく警察学校教頭として就任されるや、武徳殿を本拠地としていよいよ剣道の指導を始めようとされ、マンツーマンで手ほどきを受けました。
先生のご指導は基本を徹底的に身に付けさせるために、木刀での指導が中心でした。
竹刀を持つまで3ヶ月の間、基本の素振り、切替し、部位の打突も全て木刀でした。
道具を付けさせてもらえたのは、およそ1年後だったと記憶していますが、先生の愛情溢れるお稽古は、大変楽しかったことを今でも鮮明に覚えています。
稽古の合間に、真剣を使ってのご指導があったのを記憶していますが、その頃から居合いのお稽古もされていたのでしょう。
「先生は稽古上の心得」として門下生に次の遺訓を残されています。
武道を学ぶ者にとって基本的な用件ですので、ご参考のためご紹介します。
一.武道は礼に始まり礼に終わる、礼儀を正しくせよ
一.師範、先輩はこの道の先達である、敬意を失うなかれ
一.野卑な言動を慎み、徳性の涵養をはかれ
一.道場の内外を問わず、服装を正しくせよ
一.足の踏み方に注意し、円滑な体の運用をはかれ
一.常に正しい姿勢より、先、先、と打突せよ
一.一日の努力に一日の効果あり、稽古に数をかけよ
一.打たれることをいやがるな、打たれて強くなることを心せよ
一.理論と実践、常に思念工夫を怠るな
一.試合(勝負)に勝つ前に、まず稽古に克て
一.剣道修行の道は深遠、忍耐力を養え
一.下級者といえども侮るな、その求道心に謙虚たれ
一.道場の清潔整頓に率先実行せよ
一.保健衛生に留意せよ
一.道場で学んだ躾は社会に活用せよ
故岳田政雄先生の略歴
・明治42年4月28日 北海道根室に生まれる
・大正12年
網走中学(現南が丘高)に入学
小野派一刀流の名手村上重吉先生から剣道の手ほどきを受ける
・昭和2年
中学5年のとき、全北海道中等学校大会に初優勝
東京で行われた2つの全国大会でも準優勝と3位を獲得
後、警察大会、国体、東西対抗、都道府県対抗などに出場し優秀な成績を残す
・昭和5年
上京し、京都府巡査を拝命
翌年大日本武徳会本部武道専門学校剣道講習科入門
警察及び武徳会において、小川金之助、宮崎茂三郎、四戸泰助等の先生方から本格的な指導を受ける
・昭和14年
巡査部長となり、以降、警部補、警部、警察学校教頭、警ら隊方面隊長、警視、警察署長、警視正と昇進
・昭和39年
依願退職。勲六等単光旭日章受章
全剣連・全道連評議員を経て京都府剣道連盟審議員
京都右武館・宇治右武館神明道場館長
陸上自衛隊大久保・宇治駐屯地師範
ユニチカ技術学院剣道講師
日産車体京都工場師範等を務める
・昭和40年 剣道八段
・昭和46年 剣道範士
・平成2年10月4日逝去(享年81歳)
教士七段 岩吹孝太郎 先生
岩吹 孝太郎
いわぶき こうたろう
教士七段 元丹後道場師範
竹崎南海男先生寄稿
35年前、初代会長倉橋常茂範士の居合道場「惠美幼稚園」へ初めてお稽古に伺った時,軍隊経験者の岩吹先生がおられました。非常に手先の器用な方で刀の小物を製作されます。居合道は、お嬢さん、孫、姪にも手ほどきされました。
軍隊経験者は本番に強く、いろんな大会で入賞されておられます。又,丹後の三谷義守先生が高知県へ帰られた際,丹後出身の岩吹先生が丹後の師範として長らく指導され、現在の豊剣会丹後道場として存続しております。